序章

3.先行研究

(1)チョコレート産業

チョコレート企業の海外展開では、トリノに本社を置くチョコレート企業のうち、本格的に日本進出しているのは2社5)である。西屋敷(2004)は、海外チョコレート企業の日本展開先は、主にスーパーやコンビニエンス・ストアと示しているが6)、上記の2社に関しては該当しない。むしろ本社の企業理念である高品質・高価格の伝統を保守した動きになっている。

流通形態に関して、イタリアと日本では相当に違う。西屋敷は、日本の一般的なチョコレート製品の流通経路では、工場で生産された製品は、大手スーパーと小売店では違いがあり、さらに第1次卸店、第2次卸店と細分化され複雑であり、商品の流れを常にスムーズに保つためには必要不可欠な複雑さだと指摘している。この点、イタリアでは極めてシンプルであり工場から店舗へのダイレクトの流れである。品質保持、レスポンスの速さ等が、ひいては消曹者へのサービス向上に貢献している。

老舗チョコレート企業のカファレル社は、原料の調達にしても「ジャンドィオット7)」の原料のへ一ゼルナッツを契約農家から直接買い付ける方法をとっているが、山田(2005)は、他のチョコレート企業も、原料となるカカオを一切のブローカーを通さずに現地農家と直接取引をして買い生産者の顔が見えることで、すべてを把握し徹底した品質管理を行っていると述べている8)。無駄を省き、品質保持に一貫している。企業の消費者に対するポスピタリティの表れだろう。

チョコレートは、ヨーロッパでは男女間で贈り物をする際に用いられた品でもあった。トリノ市民の間では、チョコレートを贈ることは習慣にもなっており、ギフト用の販売促進としてクリスマスや復活祭9)には特別な形をしたチョコレート菓子を提供したり、ラッピングに趣向を凝らしたりと工夫がされている。大島(2010)は、日本では、販売戦略として1936年2月に神戸のモロゾフ10)が初めてチョコレートギフトの広告を出し、1958年2月にメリーチョコレートがバレンタインセールを行い、いわゆるバレンタインムーブメントの元を作ったと述べている11)。小林(2007)は、イタリアビジネスモデルのすごさは客層を限定し需要よりも供給量を少なめにして誰もが嗜好できるものではないという戦略をとっていると指摘しているが12)、チョコレート企業の多くは、客層を明確化し限定販売することで企業のブランドイメージを作り守っている。チョコレート産業を考察する際関係性の深いカフェだがイタリアのカフェはその多くが個人店であり、大手コーヒーチェーンは存在しない。

島村(2007)は、その理由をイタリア飲食業協会とのヒアリングを通して、イタリアは良べ物との関係をとりたてて大事にする社会であり伝統とのつながりを極めて大切にして売る気質が、マニュアルに従ってスタンダードなものになってしまうチェーン店展開を行う企業の受け入れを困難なものにしていると述べている13)。

また、カフェがトリノを首都に持っピエモンテ州に多く在る理由は、長い歴史の中で近代化が進んだ最中、労働者たちの息抜きだったアルコールが飲酒の社会問題になり、おりしも東方14)から伝わったコーヒーに傾倒していったことを示している。チョコレート企業は、その殆どが家族経営中心の中小企業なのだが、岡本(1994)は、イタリアでは圧倒的に中小企業が多く、革新的な経営はイタリア経済の特徴となっていると指摘している15)。

そして、他の先進諸国と比較して規模が著しく小さい理由については、多くの経営者や企業家が企業成長を志向しないことや、血縁関係のない人間に対して排他的な社会風土からくる家族経営を挙げ、産業政策として企業を安易に保護する制度が無い中で、企業家は小規模・大利益を得ようとする姿勢を述べている。

(2)生活文化・食文化

工業都市から観光都市へと転換中のトリノだが、和田(2006)は、トリノ再生の切り札は「脱フィアット」による「観光・文化」の街づくりだと述べている16)。事実、現在トリノはフィアットによる工業都市のイメージの払拭を図っている。海津(2009)は、文化は地域の観光魅力を引き上げる重要な要素であることは間違いないがその反面で、地域や民族文化を分かりやすく伝えようとすればするほど類型化や模型化が施されたモデル・カルチャー(模型文化)を創り出す傾向があると指摘している17)。

また、大橋(1998)は、模型文化は観光による新たな文化の再創造であるとし動態の中に文化の現在を読み取っていく視点が求められると述べている18)。村上(1991)は、近代国家の国民的自覚と国家への信望の欠如の裏返しでもある家族主義・地方主義に根ざした習慣・品行が根強いのもイタリアの特徴だと述べている19)。同様に、長手(1993)も、地城主義・郷土主義の概念が歴史的に完全に根付いていると述べている20)。

生活文化を研究する際、彼らの食文化を考察することが必要不可欠になってくる。村上は、個人の生に対する肯定的・積極的な姿勢が、食を軸とする人々の結びつきと伝統的食文化を育んできたと示している。つまり、食を通して人々のコミュニケーションが作られているのである。長本(2010)は、イタリアでは生きていくから美味しいものが食べたいという理屈があり、幸せの尺度の違いを述べている21)。

確かにアイテンティティを大事にして食べ方を文化のレベルまで引き上けているのだと思われる。食事の時間にしても長く、職住隣接なため昼食も家でとる人も多い。家族を核として考える習慣がある。中川(2004)は、イタリア人は家族と過ごす自由時間と労働時間のバランスを最も重要視すると述べている22)。イタリアの中で勤労意欲の高いトリノ市民は、その生活の中に遊び心を持っており彼ら独自のコミュニティの場を作っている。

同様に陣内(2000)は、人間と環境の間には相互に密接な関係があり、コミュニティの場として広場の存在を挙げている23)。ヨーロッパの都市には、市民の集まる広場の存在が大きいが特にイタリアの広場は市民生活の中で見事にサロン化されており、その理由としては、晴天の多い気候風土と社交性を持っ国民性を指摘している。また、散歩が習慣になっている市民が、その途中でカフェやバールに立ち寄り、コーヒーやお菓子等を食べ開放的な気分を愉しむと述べている。

これは生活空間から文化が生まれてくると思われる。カフェに関しても陣内は、イタリアの街にはカフェがつきもので早朝から夜まで、遊びの場でも仕事の場でも人間関係を円滑に運ぶ都市的装置だと示している。増淵(2010)は、日本の文化産業に触れ、東京には都市空間内に様々な装置が集積しており、人々を引きよせる役割を担っていることを指摘している24)。

その中で音楽コンテンツを挙げ、人々が一定の文化的水準のもとで生活を営むためには不可欠であり他のコンテンツにも適合でき、これは同時に嗜好品として生活を豊かにするものだと述べている。このことをトリノに置き換えてみると、市民のサロンの場として活用されている広場や、食の楽しみ方は生活を豊かにしてくれる文化であると考えられる。